パリ・オペラ座★エトワール☆
こんにちはマノンです♪
先週に引き続き、パリ・オペラ座ネタになりますが、2023年春、パリ・オペラ座バレエ団のエトワールに日本人として初めて就任したオニール八菜さんがハイジュエリーを身にまとった画像に息を呑みました☆
シックなブラックドレスとジュエリー・・・無敵の美しさですね!
数年前にミキモトの本店で展示会があり、見たことがある、およそ1,560粒もの選び抜かれた最高品質のパールを10連に紡いだミキモトのネックレス。
何連にも連なるパールの美しさは圧巻ですが・・・これ誰が身につけるんだろうと思っていましたが、なんとパリ・オペラ座のバレリーナが付けた姿が見られるなんて!(⋈◍>◡<◍)。✧♡
中央に向けてグラデーションを描くように連なり、身につけた人の動きに呼応して流麗な軌跡を描きます。。。
エトワール昇格後の、今年7月に日本で行われたガラ公演では、生の舞台で観ることが出来ました!
生まれ持ったゴージャスな雰囲気がさらに大きく華やかになり、名実ともにエトワールとなったことを強く印象づけられました。
以下、インタビュー記事より⇩
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「自分ではそんなに変わったという実感はないんですけど、やっぱり舞台に立ったときに、ほんとうに自分が踊りたいように踊れるようになった、という感じはしますね。プルミエール・ダンスーズ( 5階級あるうちエトワールに次ぐ2番目の地位)のときにも素晴らしいキャリアを積むことはできていましたし、ダンサーによって、ひとりひとり考え方は違うと思うのですが、私の場合は、とにかく『エトワールになりたい!』という気持ちがすごく強かったものですから」
ニュージーランド出身のラガーマンの父と日本人の母の間に生まれ、8歳までは東京で育った。3歳からバレエを始めて、5年後に一家で父の故郷に移住してからも、ニュージーランドやオーストラリアでレッスンを続け、16歳のときに、若手バレエダンサーの登竜門ローザンヌ国際バレエコンクールで優勝。2年後の2011年にオーストラリア・バレエ学校を首席で卒業し、プロのバレエダンサーとして目指したのが、子どもの頃から憧れ続けたパリ・オペラ座バレエ団だった。言わずと知れた世界最高峰のバレエ団であるうえに、附属するバレエ学校出身者以外には、ほとんど門戸を開かない狭き門。申し分のない才能と実力に恵まれてはいても、次元の異なる因習の厚い壁が立ちはだかる。なのに、それをも突破してみせた。
「私の中では、とにかくオペラ座がいちばん。ひたすら『バレエはオペラ座!』と思い続けていたので、挑戦すると決めたら120パーセント頑張るしかないと思っただけなんですけど、いざ実現してみると、いまだにときどき『えーっ、ほんとに夢がかなっちゃった! でも、ほんとうなのかな。こうやって素敵な夢のまま死んでゆくのかな』なんて思うこともあります(笑)。夢ってかなってしまうと、なんだかほんとうにヘンな感じがするものなんですね」
ひたすら明るくポジティブというか、あっけらかんとしていて、周囲を和ませるおおらかなオーラの持ち主だ。2013年にパリ・オペラ座の正団員になってからは、トントン拍子で階級を駆け上がり、2016年にプルミエール・ダンスーズに昇格。さあ次はいよいよ念願のエトワール、と秒読みに入ったところで、予想外の、端から見ても理不尽と思えるほど長期にわたる、スタックが待ち受けていた。自ら「エトワールになりたい」という強い意志と願望を公言していただけに、この丸6年間は相当に堪(こた)えたはずだ。
「若い頃は確かに『エトワールになりたい』という気持ちが強かったんですけど、少し大人になってきたことで、『なれないかも』とまでは考えないにしても、エトワールにばかりこだわっていないで、自分の踊りに集中して、自分の力でできることを精いっぱいやろうと切り替えました。とはいえ、やっぱりひとりでいると簡単に諦めてしまいそうになるところを、両親や弟たちが『頑張れ』と言ってくれて、家族が支えになりました。小さい頃、よくバレエの先生やおばあちゃまに言われていた『我慢』という言葉を思い出して、学び直したところもあります。祖母は『ねえ、日本語ってすごいでしょ。我慢と同じ意味の言葉は、英語にはないんだからね』と言っていたんです。何でも抑え込むのはよくないと思うんですけど、『我慢』はそういうことではなく、次に進むためにしなければいけない何か。なんとなくそれが理解できて、『じゃあいいや、我慢しよう』みたいに思っていた面もありますね(笑)」
そうカラッとした笑顔で話すのを聞いて、ハリウッドスターのジョージ・タケイが、第二次世界大戦中のアメリカで日系人の強制収容所に入れられていた際に、母親からいつも「GAMAN」という言葉を聞かされていた、というエピソードを思い出した。その語意は「尊厳と不屈の精神をもって耐え抜くこと」。21世紀の芸術界においても起こり得る厳しい状況と、それを克服して日本人初のパリ・オペラ座エトワールになった彼女の努力と精神力に、感銘を覚えずにはいられない。他者と自分を比較することをやめ、コロナ禍が重なったその時期後半には、徹底的に基礎を鍛え直したというのも賢明だ。
「ふだんはあまりにも忙しくて、少しの調整や工夫をして踊っていたんですが、公演が中止になって時間ができたので、コーチの先生と一緒に、すべての動きを一からやり直しました。基礎はほんとうに大事。おかげで舞台に出たときに、すごく自由を感じて、自分らしい踊りがつくれるようになってきました。楽しくて、やっぱり私はバレエが好きなんだって思います」
心身ともに進化を遂げた先に、エトワールの座が待っていたということなのか。次の来日公演では、パリ・オペラ座の看板ダンサーとして、さらに風格と輝きを増していることだろう。
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エトワールになったのは少し遅咲きだったかもしれませんが・・・本当に、今後が楽しみなバレリーナですね!
投稿者:マノン
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