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2008年12月

2008年12月27日 (土)

ココロのカタチ。

みなさーん、あと数日で2008年が終わっちゃいますよー

今年やり残したことはありませんかっ

やるなら今のうちですよっっ



…と自分を鼓舞しつつ今年最後のコラムに取り組んでいる、

「まだ年賀状書いてない協会」会長の安藤万里子です。 ←開き直り



やり残してることだらけで心臓バクバクです、ハイ。



ですが!

こんなときこそ、自分の内外に溢れる感覚にしっかり気持ちを向けて、

テンパらずに一つ一つ心を籠めてこなしていきたいと思います



は、



5年前、私が所属していたダンスカンパニーで決行した1年間の全米ツアーにて

ダンサー/講師の一人として体験した

アメリカのとある女性刑務所での忘れられない5日間を、

皆さんのココロに伝わるよう一生懸命綴ります。



私のココロに一生消えることのない強い光を灯してくれた、

愛するインメイツ(受刑者の方々)にも

この想いが届きますように…



※よろしければ、このお話を読んでいただく前に、

12月13日のコラムをご覧いただければ幸いです。





☆゜・。。・゜゜・。。・゜☆゜・。。・゜゜・。。・゜☆





アメリカの女性刑務所を回り

各地に1週間ほど滞在し

施設内の一室にて5日間のダンスワークショップを行い

最終日にスタッフや他のインメイツが見守る中で、

受講者の発表会&ミニコンサート。

基本的に、私たちは1年間このスケジュールで過ごしました。



毎朝この施設を訪れ、

水さえも持ち込めない厳重なセキュリティーを通って所内に入ります。

部屋ごしにたくさんの警備員に見守られ

複雑な作りのドアを何度も通り抜け、

その中に広がっている雰囲気は

不思議とそれぞれの刑務所で全然違いました。



危機感、

虚無感、

絶望感。

それらの入り混じったもの。

身体で感じるから、

ことばにできない感覚もたくさんあります。



表に出ている看板は同じです。

しかし、

そこが刑務所なのか

はたまた更生施設であるのかは

所長とスタッフを見ればすぐにわかります。



そう、

場所によっては暖かい雰囲気も感じられるんです。



そこには必ず

温かく献身的なスタッフと、

ひとりの人間として扱われ

辛いものを抱えながらも強く生きる、

前向きなインメイツの姿がありました。



そう考えると

インメイツだけでなく、

所長やスタッフの方たちにも

身体で表現し、

人に関わることのすばらしさを

このワークショップを通して感じてもらえたら…



そんなことも感じていました。



そんな中、

ある女性刑務所でのワークショップが始まりました。



初日はとにかく身体を動かしたいだろう若者から、

楽しくダンスをしたい中高年の方まで

様々な年齢層の方が集まっていました。



ちなみにその人がどんな罪を犯したのかは

プライバシーの侵害となるので知ることができません。

(知る必要もないですが)



とはいえ便宜上、

他の刑務所と同じように

◎刑の重い人

◎刑の軽い人

◎ドラッグ常習者

によって着ているTシャツの色が分けられています。



希望者参加型のワークショップなので、

普段は別々の棟で生活しているインメイツが入り混じっていました。



私たちは彼女達にストレッチから指導し、

簡単なダンスのステップを教えました。

その後「表現」をテーマにいくつかのワークをし、

インメイツたちと一緒に作品を創り上げていきます。



インメイツ達の中には

効き目の強い抗うつ剤や精神安定剤を

常用している人が多いため、

集中するのが大変なようでした。



みんな子供のように

いや、それ以上に素直で

面白ければ喜んで挑戦し、

つまらなければ部屋のはじに座り込んだり

もしくは部屋から出て行きました。



私たちはみんなに

ただ身体を動かして楽しい

というレベルではなく、

身体でおもいっきり何かを表現して

それが相手に伝わることで得られる

「感動」を体験してもらいたい一心で、



最初のストレッチから

それはそれは必死に教えました。





私たちがそこまで熱くなったきっかけは、



全員で輪を作り、

中心にひとり立ってもらい、

一人ずつ中心の人に歩み寄り

その人の「良いところ」と

そこから湧き出てきた感情を

動きを使って相手に伝える



というワークを通して

大切なことを学んだからです。



私たちも含めて、

初めて会った相手の「良いところ」

を言葉でなく身体で伝えるのは

とても難しいことでした。



初日は

皆に見られている恥ずかしさもあってか

笑いながらただヒップホップを踊っている

若い女の子もいれば、

伝え方がわからなくて

完全にジェスチャークイズみたいになっている

女性もいました。



私たちも、

人より身体は動かせても

その人の良いところをちゃんと相手に伝えられない

自己満足の動きばかりをしていたことに

初めて気付かされました。



全員が目の前で表現し終わっても

真ん中の人はきょとんとしていました。



私は勇気を出して真ん中に立ってくれた彼女に対して、

申し訳ない気持ちでいっぱいでした。





皆同じ気持ちだったのでしょう。



2日目、3日目と続けていくうちに

目が本気になっていきました。



クラスを通して相手を知っていくにつれ、

表現の仕方が変わっていきました。



胸の前でハートマークをつくって

相手に差し出したり、

ぎゅっとハグしたり、

伝えようとする気持ちが

だんだんと強くなって

それぞれの表情も変わっていきました。



伝える側の手や身体に宿る意思が

徐々にはっきりしていくのを見て、

「表現」とはこういうことだと

胸が熱くなったのを今でも覚えています。



真ん中に立った人は嬉しそうに、

笑顔で

「ありがとう」

と言っていました。



そのありがとうはとても心に響きました。



そして、

もっともっと伝えたいという気持ちが

みんなの中で高まっていきました。





迎えた最終日。



このクラスが終わったら、

もう次の日は会えません。



おそらく一生会うことはかなわないでしょう。



想いを伝えるなら

今、この瞬間しかないのだと噛みしめながら

最後のワークを行いました。



この日真ん中に立ちたい、と手を挙げたのは

最年長の方でした。



挙動不審で落ち着きがなく、

精神が不安定だということは

誰の目から見ても明らかでしたが、

5日間を通して、彼女が

チャレンジ精神旺盛で、素直で、笑顔がステキで、

思いやりのある優しい方だと知りました。



こころに大きな闇を抱えて

現実とそうでない世界を行き来している彼女の心に

伝えたい気持ちがたくさんありました。



伝わりにくい相手だからこそ、みんな必死になっていました。



正直、それぞれが彼女の前でどんな動きをしたかは

覚えていません。



それよりインメイトの一人一人が

出会って5日目の彼女へありったけの愛を伝えようとする姿に

不自然さやわざとらしさは全くなく、



本当に、ほんとうに美しくて



自然と涙がこみ上げてきました。





中心にいた彼女は

じっと立ったまま、

とめどなく涙を流していました。



全員が彼女の前に立った後に、

彼女は震えた声で



「私は人を殺してここに何十年も入っています。

私には、外の世界にただひとり残してしまった息子がいるんです。

一生叶わない夢だと諦めていましたが、

私はここを出て、彼に逢いたい!

彼に会って、長い間伝えられなかった彼への愛をちゃんと伝えて

こんな幸せな気持ちにさせてあげたいと心から感じました。

生きていてよかった。

愛をくれてありがとう、ありがとう」

と、澄んだ目で私たちに伝えてくれました。



そこにいたのは、

それまでの無邪気で子供のような彼女ではなく

子供を愛する、ひとりの母親でした。





最後に、

このワークショップの感想を一人ずつ発表しました。



ある女性は、

「私は今まで愛情を表現することができませんでした。

家族にさえ、愛していると伝えることができませんでした。

だから、今すぐ家に戻って、

こどもたちを強く抱きしめて

愛しているよって伝えたい!

あなた達が、私の人生を変えてくれました。

本当にありがとう…」



また、ある方は

「この施設を出たら、

絶対にダンスを習います!

あなた方のように

表現豊かな人間になりたいから。

今からそれを楽しみに、

前向きに生きていきたいと思います。」



全員が号泣しながら、

「自分の人生が変わった」と

心から伝えてくれました。





私もそのひとりでした。





正直言って

ツアーに入る前のリハーサルの段階では、



「プロの本気の踊りを見せる」

「身体で表現することの楽しさを教える」



私たちはこの程度の意識しかありませんでした。



依頼者も受刑者への情操教育として、

身体を動かして気持ちを開放させる目的で

私たちを雇ったのだと思います。



ただ、ディレクターが求めていたのはもっと深いものでした。

実は彼女は

ダンスセラピスト

として長年活動していたのです。



私たちダンサーは

ラッキーなことに彼女に選ばれ、

最高の環境で

知らない間に1年もダンスセラピストとしての訓練を受けていたわけです。



ツアーが始まってからは、

「つまらなかったらいつでも受けるのをやめられる」

というスタンスの

ごまかしのきかない相手を前にして、

毎日が真剣勝負でした。



私たちも悩んで話し合って試行錯誤して、

どうしたら一人一人に気持ちが伝わるのか

超必死になって取り組みました。



最初の数日は

それぞれのインメイトが

他の参加者に対して、

そして私たちに対して、

警戒心を持っていました。



人は信用できない。

深くかかわるのはやめよう。



そんなインメイツたちも

この深くかかわっていくワークの中で

日を追うごとに

少しずつ心を開いてくれました。



きっと思い出すのも辛いだろう、

自分の犯罪履歴や

その時の状況を

自ら語ってくれました。



こうした彼女らの変化を

目の当たりにすることで、

「人と真剣に向き合うこと」

の大切さ、素晴らしさを知り、



また

人に表現の素晴らしさを教えるつもりで

この仕事を受けたはずが、

気が付いたら彼女たちを通して

「思いを伝えること」

の実際を教えられていました。



ダンスを踊ることは自己満足なのではないか?

本当に誰かの役に立っているのだろうか?



プロになってからもこの疑問に悩み続けていた私は、

少年少女院での経験や

彼女達の

『ありがとう』

という言葉に心底救われました。





どんなに絶望に溢れた場所でも

人が人に関わろうとする強い気持ちがあれば

こころからの笑顔と、

生きる勇気を与えるような

温かくエネルギーに満ちた雰囲気が

たくさんの「人」から生まれるんです。





私はそのココロのカタチを

一生かけて伝えていきたい。





私にとってはかけがえのない1年間でした。

ただそこにいる人たちを見ているだけであれば

わからなかったであろう、

一人一人のドラマに触れることができたから。





別れは辛いものですが、

彼女達とはずっと心で繋がっている

そう感じるから

彼女達を思い出すだけで

身体がこう伝えようとするんです。



ありがとう。



☆゜・。。・゜゜・。。・゜☆゜・。。・゜゜・。。・゜☆



余談ですが、

ワークショップの合間には、

刑務所の実態をありのまま伝えようと

スタッフの方たちが施設を案内してくださいました。



ドラッグ棟、重刑者棟、軽犯罪者棟をすべて回り、

それぞれのスケジュール、規則等も簡単に説明してくださいました。

実際に住んでいるインメイトの部屋を

見せてもらったりもしました。



棟ごとに雰囲気も設備も全く違いましたが、

私の想像とは違い、質素ながらも

皆人並みに暮らしていました。



独房では、見学している私たちを見て

インメイツが檻に張り付きながら

私たちに暴言を吐きまくっていました。



医務室では

心身喪失状態の患者が

自殺できないように工夫された

真っ白な部屋にも案内されました。





よく考えてみると、

日本人でアメリカの刑務所の内情を

ここまで知っているのは

私とあと数人くらいかもしれませんね…。





…ということで話は尽きないのですが、

続きは来年!ということで、

2009年も皆さんにブログを通して

色々とアツく語っていきたいと思います



それではみなさま、良いお年をお迎えください



〈アンドウマリコ〉



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2008年12月21日 (日)

☆オークション☆

みなさん、こんんちわ!!MIOデス

今日は、とってもあったかい1日でしたね気分もテンションもあがりマス

さて、話は変わって、早いものでいよいよ年末デス大掃除を・・・と思って部屋を少しずつ掃除していたら、あまり着ていなかった服や忘れかけてた服とか物がたくさんでてきました。

捨てるのはもったないないけど・・・持ってても多分あんまり着ないだろ~な~使わないだろうな~・・どうしよ~って思っていたら・・・

偶然にも、ネットオークションに出品したりして処分するという話を、テレビで見ました~

以外なものが高値で売れたり、・・・と楽しい感じでした私が、テレビで見た情報によると、クロスワードパズルの解き終わったいらないもの・・・とかがけっこう高く売れたりするって言っていました。

解きおわったものとか、間違えなく捨てる・・・って思っていましたが・・・欲しい人はほしいらしいのです。

あと他には、壊れたゲームとか・・・。欲しい人は、ほしいらしいのです。

それを聞いた私は早速、はじめてみようと思います。いらないものを処分してお金に変身したら、まさにラッキーです

ネットオークションの世界を少し覗いてみたら、すごく多く人が参加してて、ハイテクを感じました。なんでもかんでも出品してるように見受けられました。私も家の中から掘り出しものを探して、参加してみようと思います

とても楽しみデス

では、みなさん、今年もどうもありがとうございました。良いお年を~

   (投稿者:MIO)

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2008年も残り僅かとなりました!

こんにちは!

あっという間に今年ももうすぐおしまいですネ。年末カウントダウンをしながらひょっこり登場、TAMTAMです。

街ではクリスマスソングが流れ、テレビでは年賀ハガキとオモチの宣伝をしているという、和洋折衷な日本では・・・忘年会、クリスマス会、新年会・・・と、お仕事忙殺の傍ら、これからイベントもりだくさんなシーズンに突入ですね!

皆さん、ご一緒に!!

”ぅぉぉぉーヽ(゚ω゚ )ノヽ( ゚ω゚)ノヽ(゚ω゚ )ノぅぉぉぉーヽ( ゚ω゚)ノヽ(゚ω゚ )ノ ぅぉぉぉー!!!”

・・・ 寒くても、不景気でも、少々体調がすぐれなくても、ここぞとばかりはりきってみたり、カラ元気で乗り切れるのも、今シーズンならではですね。笑 

さてさて、皆さんはどんな年末年始をお過ごしの予定ですか?

突然ですが、TAMTAMクリスマスになるといつも見たくなるアニメーションがあります。オススメは”ピーターラビットと仲間達”の作品の一つ、”グロースターの仕立て屋”というお話です。イギリスのクリスマス&かわいい動物達の心温まるお話です。さむーい冬に見ると心がとっても温まるような、和みエピソードの作品です。

そしてもう一作品。これまたアニメーションで、”スノーマン”。ほとんど音声、会話がないのですが、静かな中でのやさしいタッチの映像に癒されます。気分はすっかりホカホカホワイトクリスマス~(・・・考えてみれば、どちらもイギリスの作品ですね Σ( ゜O゜)!)

2008年の〆、TAMTAM流、勝手に年末年始計画~。

→大掃除はコツコツお早めに。食べたいだけ食べて、その分働き者モードに。「笑う門には・・・」に期待してはしゃぐときには大はしゃぎ。さらにはその笑いの勢いで年末の仕事を一気に片付け、ゆっくり療養!これに尽きます。

この計画を実践すべく(?)、まずは先日、友達とプチ忘年会を開きました。美味しいものを食べながら仲間と語るひととき。最高ですね~♪お酒がはいっているわけでもないのに、多弁で笑い上戸になるTAMTAM大はしゃぎでした。\(^o^)/ 笑 これからまた仲間や家族と集い、のんびりした時間を楽しむ予定です。今は洗濯掃除ラッシュ中です!笑

・・・腹八分目、適度な運動、あったか対策万全で年末年始も元気で健康に!が目下の目標です。

2008年もおかげさまで無事スタジオにて先生方、生徒の皆様との楽しい時間を過ごすことができました。ありがとうございました!!

それではまた来年、アンシャンテにてお会いしましょう☆

お体には気をつけて、素敵な年末年始をお過ごし下さいね

(投稿:TAMTAM

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2008年12月20日 (土)

表現のススメ。

皆さん、こんにちは

クリスマスも近いのに2週連続でコラムを書いている、自分を追い詰めるのが大好き系講師の安藤万里子です



さて、そんなマイペースな私が

思い立ったが吉日

ということで先週お話させていただいた

「コミュニケーションのかたち」

皆さんにはどのようなかたちで伝わったでしょうか?



私の中で長いあいだ温めてきた

《全米刑務所ツアーでの感動体験》

をブログを通して多くの方々にお伝えできるのはとても嬉しいことです。



運の良いことに、

私は恵まれた環境の中で(刑務所の中ですが

誰にもできないような経験をさせてもらったのですが、



もし前回の話が貴方の心にすこしでも響いたのであれば、

この話を「他人事」と思わずに

ぜひとも日常でのコミュニケーションの場で生かしていただきたいのです。



私は「表現者=ダンサー」ではないから…

と、私の話を別次元のものと考えてしまう方もおられるでしょう。



でも、もう一度考えてみてください。

表現には、表情、身振り、動作、言語も含まれています。



つまり

表現をしていない人など、一人もいないのです。





前回の話の中に出てくる少女達にも見られたように、

誰だって、必ず人と関わりたいという意識を持っています。



重罪を犯した人たちも、

独房に入れられて叫び狂っている人たちも、

みんな同じでした。



自分の存在を、カラダを使って精一杯表現する



これが、人と関わるために

人が無意識に行うことです。



「自分の存在をわざわざ表現しなくたって、

見えるものはすべて存在しているわけだし、

人に会うだけでも、

人と関わっていることになるじゃない」

という方もいらっしゃるでしょう。



ただ形として見えているというだけで

《存在》を感じてもらえるならば、

なぜ人は

受け入れてほしい、認めてほしい

と強く求める必要があるのでしょうか?



「ここにいるよ」「生きているよ」



このメッセージをを発していない人間なんていません。





ひとはかたちではないからです。

ひとは意思の塊だからです。



それにもかかわらず、

一緒にいれば、雰囲気で伝わっている

言葉を発したら、意味は伝わる

と思い込み、

相手のこころに伝える努力を忘れてしまっているのは

本当にもったいないことです。





話が少し変わりますが、

世の中にKYという言葉が流行るほどに

その場の雰囲気を読む=相手に合わせる

というコミュニケーションの仕方が日本では大切にされていますよね。



相手を感じて、相手のことを知ろうとする気持ちはとても重要です。

ただ、

「人に関わる」姿勢としては、ちょっと受身すぎではないでしょうか?



現代にはいわゆる

『センシティブで傷つきやすい』

人間が増えています。



人に合わせる、という名目のもとに



当たり障りのない会話しかせず、

相手の出方を見てから行動し、

与えられるのを待ち、

相手の評価に一喜一憂し、

相手に表面的な心地よさだけを求める。



そして、



一緒にいて傷つかない相手としか関わりを持たない。



厳しいようですが、

それはコミュニケーションではありません



ちゃんと向き合わなくても、ほめてくれる

そのままでいいよ、といってくれる

無意識にそういう人ばかりを周りに置くからです。



人と関わっているつもりで、

実は自分を守ることで頭がいっぱいではありませんか



ドキッとしましたか?

「私は違うと言いたいけれど、少し当てはまるかも…」



もしそう思われたら、今が人と本気で関わるチャンスです。





さぁ、あなたなら、人に想いを伝えるために何を使いますか?



相手が日本人であれば、『ジェスチャー』ではなく

『言葉』と答えるでしょう(笑



コミュニケーションのツールとして、

言葉はとても便利なものですよね。



言葉を並べると、たとえ気持ちを籠めていなくても

相手が伝えたいことの意味は理解できてしまいます。



でも、言葉の奥に秘めた想いを伝えることはとてつもなく難しいことです。



メールや手紙では伝えきれない、

言葉では表現しきれない想いがあるからこそ、



人は直接「会いたい」という気持ちが沸くのですから。





もしあなたに言葉がなかったら?



目で訴えることしかできなかったら?



それでも伝えたいことがあったら、あなたはどうしますか?



だれでも、伝えたいことがあったとき、

それが伝わりにくいことであればあるほど、

必死になります。

必死に相手に伝えようとします。



その強い想いがすでに

相手への表現

になっているのです。





能動的に、積極的に、

強い想いを持って人と接し続ければ、

必ず相手は反応してくれます。



最初は

ありがとう

だけでいいんです。



その言葉に全身全霊をこめて

相手に伝える努力をしてみてください。

もし頑張っても伝わらなかったなら、

相手を見て、感じて、

表現の方法を変えてもう一度トライすればいいのです。



それが、本来のコミュニケーションだと思いませんか?



大切なのは、言葉の意味でも伝える手段でもなく

貴方の想いの強さなのですから。





人が深いところでつながったとき、

こころがふるえます。



想いが伝わることの喜びを知ったとき、

「もっと人と関わって生きよう」



そう思うようになります。



私が今こうして人に何かを伝える職業に就いているのも、

《人はもっともっと深い表現ができる》

ということを皆さんに伝えたいからなのだと感じています。



たった5日間で私の人生観を変えた

女性刑務所での貴重な体験談を、

今年の最後のコラムで

皆さんに心を籠めてお伝えしたいと思います。



どうぞ、最後までお付き合いくださいませ



〈アンドウマリコ〉

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2008年12月13日 (土)

コミュニケーションのかたち。

お久しぶりで~す

そうです。マリコは忘れた頃にやってくるんです。 

↑ただの寂しがりやでは…



最近はオモシロ先生から癒しの先生にひそかにキャラ変更している(つもりでいる)、

カラダ講師の安藤万里子です

実は今回のブログお休み中に通訳のお仕事で4ヶ国、計3回海を渡ってきました



…いやぁ、色々ありました。

今年のハプニング大賞はアンドウマリコに決定です。

(詳しくは本人にガッツリ聞いてみましょう。)



ちなみにここでは全然顔が見えていませんが、

夏から陽を浴びすぎてガン黒になっております。

おまけに今は鼻だけとってもレッドな感じです。

この1年で「色白先生」から「色黒トナカイ先生」へといつの間にかの劇的ビフォアアフターです



かなりの大失敗ですが。



さて、みなさんの2008年はどんな一年でしたか?

バレエやダンスのクラスを通して、カラダを動かし、カラダを知り、カラダで表現することの喜びを感じられたでしょうか?

もしそうであれば、私も嬉しい限りです



このブログで語りたいテーマは無限大にあるのですが、

今回は今年の締めくくりのコラムとして、

私の人生のターニングポイントにもなった

少年少女院と、女性刑務所での経験を皆さんとシェアしたいと思います。



...ビビリましたか?

ちょっとだけドキドキしながら読んでみてください(笑



○o。+..:*○o。+..:*○o。+..:*

私がニューヨークにいた時、私の所属していたダンスカンパニーが依頼を受け、

数名の選抜チーム(女性のみ)で

1年かけて全米の少年少女院、主に女性刑務所を回って

公演&ワークショップ(ダンスの講習会)をすると発表したんです。

私もそのメンバーの中に入っていました。

「決して簡単なプロジェクトじゃないから、参加したくない人はしなくていい」

と芸術監督は言っていたのですが、

ド根性情熱好奇心で生きている私にとっては

願ってもない素晴らしいチャンスだと思ってオッケーしました



おかげで、一生知ることもなかっただろう刑務所のシステムや現状も知ることができました。



アメリカの刑務所には

国や州が運営する連邦刑務所と

企業が運営する民間刑務所があるんです。



刑務所を民営化しちゃうなんてびっくりですよね



そのシステムも影響してか、刑務所によってスタッフの雰囲気、建物全体の雰囲気が全然違いました。



とても献身的でアットホームなスタッフや所長に囲まれ、

心のリハビリのしやすい暖かな雰囲気の刑務所もありましたし、

もちろん、

「気を抜くと後ろからナイフで刺されるから、誰にも気を許すな」

と教えられ、所内自殺者の絶えない(私達がいた間にもありました)

暗く殺伐とした雰囲気の刑務所もありました。



その中で、私たちが訪れたある州の少年少女院は悲惨でした。



入る前から嫌な雰囲気。



建物に入ってすぐに鳥肌がたちました。

無表情のスタッフの後について

セキュリティーを何度もくぐりぬけ、

誰もいない廊下を延々と歩いている間も、私達は終始無言でした。

吐きそうでした。

それだけ、恐ろしいほどの「死」や「絶望」の雰囲気が漂っていたからです。



ワークショップの会場に向かう途中、ガラス越しに子供達が座っているのが見えました。

子供達が私たちに気付いてゆっくりとこちらを振り向きました。



胸の奥がむぎゅっと締め付けられました。

なきそうになりました。



「死んだような顔」

というのはこういう顔のことを言うのだな、と。

生きているのが辛い、という顔です。

そんな顔が、そのガラス張りの部屋にあふれていました。



足を止めることもできず、

一瞬、でもおそらく

一生忘れることのないショッキングな映像が頭に焼き付いたまま、

私達は広い体育館に到着しました。



そこにいたのは、14~18歳くらいの思春期の女の子40名ほどでした。

明らかに「無理やり参加させられた」という顔をしていました。

スタッフから、

その子たちの半分以上は妊婦(もしくは母親)だと伝えられました。



予想通りでしたが、ワークショップが始まってもずっと野次が飛んでいました。

ディレクターがダンスの歴史を簡単に説明し、

私達ダンサーがデモンストレーションで軽く動きを見せるのですが、

「なにそれ、意味わかんない」

「ばっかじゃないの~」

「わーそれマジ変なんですけど」

と言っては私達のしていることをひたすらからかい、あざ笑っていました。

リーダー格の女の子が目配せして、

「興味があるそぶりをみせるな」

と若い仲間を常に威圧していました。



彼女達は今までずっとこうしてきたのでしょう。



すべてをバカにして、聞き入れない。

絶対心を開かない。

学級崩壊のクラス並に手のつけられない状態です。

そんな態度にさすがの芸術監督も顔を歪めました。





でも、これが私達にをつけたんです



言葉で通じないのなら、

『絶対に、踊りで何かを伝えたい』



言葉を交わさなくても、

私達メンバー全員がそう感じていたのが伝わってきました。



「なら、こっちも死ぬ気で身体を使ってやろう」



衣装も照明も舞台装置もないところで、

ミュージシャン1人とダンサー4人で30分の作品を上演しました。



「さぁこれからカンパニーの方々が作品を上演してくださいます。」



と、スタッフさんが呼びかけても

ものすごい喧騒と罵声は止まることはなかったのですが、



なんと



最初の5分で

ピタッ

とやんだのです。



そこから25分。

私達でさえ息を呑むような雰囲気で、

彼女達は私達の踊りを食い入るように見ていました。



私は、

この熱い気持ちが伝わってくれ!

その子たちひとりひとりの肩をがしっとつかんで

ぎゅーっとハグする気持ちで

踊っていました。

身体の神経一つ一つが、ものすごい勢いで身体を動かしていました。



あんなに強い気持ちで踊ったのは、人生で初めてでした。



誰かのために。

伝えるために。



ダンスは、

舞台芸術である前に、

コミュニケーションでなくてはいけないと、

踊りは、

目的でなく

何かを伝える手段でなくてはいけないと、



彼女達に教えられました。



作品が終わった後、リーダ格の子が、

そして彼女に威圧されていた子供達が、

割れんばかりの拍手をしてくれました。



正直、奇跡だと思いました。

あの雰囲気の、あの建物の中で、こんなに興奮した空気を感じるなんて。



そして、公演後のアフタートークで、子供達は沢山の質問をしてくれました。

「どれくらいダンスをやっているの?」

「貴方達が見せてくれたダンスは、どこで習えるの?」



一番最後にリーダー格の子が、

「私もここを出たら、ダンスを習いたい。

すごいエネルギーを感じたよ。ありがとう。」

と、キラキラした目で言ってくれました。





人は、きっかけがあれば短い時間でこんなにも変われるんだ

言葉がなくても、強い気持ちがあれば人はつながれるんだ



ひょうげんのかたちは、なんだっていいんだ





そのとてつもなく大きな体育館から出るとき、ひとりひとりにありがとうを言って回りました。



規則か法律か知りませんが、彼女達には触れることが許されないんです。

でも、その肌のもっと内側にある心に、

ダイレクトに触れられた気がしました。



あの子達に、いつかまた会えたらいいな。

そのときまでに、もっともっと気持ちのこもったありがとうを伝えられる人間になりたい。

いや、なってみせます。



○o。+..:*○o。+..:*○o。+..:*



人間は、みな人と深く関わりたいんです。

本気で関わると、相手を、そして自分自身を知ることができるからです。



実は、野次を飛ばすのも、「関わること」に変わりありません。

あの子達も、あのすさんだ環境の中で、必死に何かと関わろうとしていたんです。



感じ取ろうとすれば、人の真意は伝わるものです。

でも、自分が本当に伝えたいことは、

死ぬ気で、本気で、相手と向かい合う気持ちがないと伝わらない。



それを身をもって体験できた私は

本当にラッキーな人間だと感じています



もし皆さんにも、

この話を通して何かが伝わったのであれば…

私はとても幸せです



来週は、ある州の女性刑務所での、さらに感動の体験をお話したいと思います

これはなしには語れません



もちろんこのお話はノンフィクションですよ~



〈アンドウマリコ〉



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2008年12月 6日 (土)

前川です

 アンシャンテ原宿の皆様、こんにちは。

前川です。

今日は朝から自分のレッスンにいってきました。

朝と言っても11時半ですが。。

レッスン着というものは、とても重要です。

うっかり貴族のズボンみたいなものを

持ってきてしまったせいで、

テンションまったく上がらず。

こういう日はグランバットマンなどをしても、

つま先がコッペパンみたいになってて

さらにへこむ可能性があるので、

心配でした。

そうでもありませんでした。

今日は久しぶりに有楽町線に乗ったのですが、

げげげの鬼太郎模様でした。

電車が。

夢子ちゃんの顔が昔と違って

ちょっと。。。

なんか昔とくらべて奥二重になったような。

写真に撮りたかったけど

勇気がでず。

いい休日でした。

では、皆様

またレッスンでお会いしましょう

(投稿者:前川)

              

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