大人だからこそのチャレンジ
お久しぶりです
そよ風が心地よく感じられる季節になりましたね
暖かくなった途端に視界がグンと広がり、春モードに変化した街や人の風景を愛しく、ほほえましく感じてしまう、どうやら単純…いやピュアな熱血講師の安藤万里子です。
寒く厳しい冬を耐え抜き、あらゆる生き物がそれぞれの内に溜め込んできたエネルギーをパーッと開放させ、本来の輝きを見せるのが春ですね
花を咲かせる植物や、 冬眠から醒めて動き出す動物、 脱皮をして新しい姿を見せる昆虫達と同じように、
季節の変わり目には私達の身体の内部もドラマチックに変化しています。 「ドラマチックに変化?大げさだなぁ」
と思われる方も多いかもしれませんが、それは私たちが身体の声を感じとることを忘れてしまったからです。(詳しくは3月8日&15日のコラムを読んでみてくださいね)
よーく思い出してください。
自分の顔や身体をチェックするためにまず鏡を見るクセがついていませんか?
悲しいことに、現代人はすべてを視覚で判断するようになってしまいました。そこには、
見える=わかる
見えない=わからない=気にしない
という恐ろしい心理が見え隠れしています。
「見えるからわかること」は、氷山の一角にしかすぎないのです。
植物の根っこと同じように、物事の核=本当に大切なことは、目では見ることのできないところに存在しています。
目に見えることのみで満足してしまったら、何かを感じて理解しようとする能力は失われていきますよね。
これは皆さんにも思い当たることがあるのではないでしょうか。
たとえば、外見を美しく見せることに一生懸命になって、心や体に負担がかかっているのに気づかない時がありませんか?
安心してください。みんなそうなんです(笑)
どうしても、目に見えることに重きを置いてしまうんですね。
そんな
「視覚に頼りすぎる」
という悪い癖を治していくために、私のクラスでは、 自分や他人の身体を触ってもらったり、一人で踊ってもらったり、目をつぶってもらったり、鏡を見ないで動いてもらったりします。
もちろん、それはすべて意味のあることです。
私は生徒さんを辱めたいのでも意地悪をしたいのでもなく、自分の感覚で身体を認識できるようになっていただきたいのです。
先生の前で、もしくはほかの生徒さんの前で恥をかきたくない、と感じてしまう気持ちはとてもよくわかります。
難しい、私には出来ない、と引け目を感じてしまう気持ちも良くわかります。
でも、残念なことにその「自分をよく見せたい」というプライドが、貴女の大切な感覚を深め、育てていく邪魔をしているのです。
私から見れば「もったいない!」と思うくらいに、皆さんは自分を過小評価してしまっているのですよ。
ただの動きの連続でもなくエクササイズでもない、バレエという芸術に挑戦しているのですから、「出来ない、難しい」のは当たり前です。
日々変わり続ける身体を相手にしているのですから、20数年やっている私にとっても、難しいこと、できないことだらけです。反対に言うと、バレエというものはそれだけ身体を深く追求していけるものなんですね。
「出来ること」しかやらなければ、人は成長しません。
さて、ちょっと昔話になりますが、私の「常に劣等生」人生の中で、バレエやダンスや英語のスキルが飛躍的にアップして周りに評価された時期が何度かありました。
今思い返してみると、きっかけは一緒です。
「私が一番下手(できない)」と感じる環境に自ら飛び込んでいったときなんですね。
中学生で大人の上級クラスを受けられることになったとき。
順番が全然覚えられない、間違えると恥ずかしくて「できないできない」ときゃーきゃー言ってごまかしたり、周りの上手な人と比較して「私って才能ないのね」と落ち込んだり(このクラスで私より下手な人はいない、と私は思っていました)、しまいには私の踊りを見て「この子下手ね」とみんなが思ってるんじゃないか…なんて自意識過剰になったりもしました。
そのときは子供と大人だから、と多少割り切れる部分もあったのですが、
ローザンヌの講習会を受けたとき。
同じ歳の世界に羽ばたく精鋭たちが全国から集まる講習会で、私は下手すぎてワル目立ちしているように感じました。貴女にはバレエは向いてない、と解剖学の先生から言われたりもしました。でもめげずに毎年受けてましたけどね。
アメリカの大学に入ったとき。
なぜか公用語が日本語になっている寮に入れられてしまい、英語が上達しないと思ってすぐにアメリカ人だらけの寮に移動しました。最初に住んでいた寮の日本人の方には無視されましたけどね(笑) その後の4年間は1週間に1度くらいしか日本語を話す機会がなく、最初の2年は自分の存在をダンスでしか表現できませんでした。
日本語が若干不自由になってしまうくらいの英語のシャワーでした。
大学でやったこともないモダンダンスの上級クラスに入れられてしまったとき。
モダンダンスをコアに勉強してきたセミプロの子達(日本人は私だけ)に「何でこんな下手な子がこのクラスにいるの」と思われ、動きがわからずに人にぶつかりまくってしまい、たまに英語でイヤミを言われていることだけはよーくわかりました。
まぁ、大人になってからもこんなことばかりしているのですが、長すぎちゃうので割愛しますね
正直どれもこれも、最初は自分を惨めに思うこともありました。
でも、惨めになったり恥ずかしい思いをしてもあきらめなかったのは、 不器用で才能がないと感じている劣等感だらけの人間でも、
いや、そんな人間だからこそ、
こつこつと「自らが求めれば得られる」ことの喜びを知っていたからです。
これだけは確信を持って言えます。
「恥ずかしい」「できない」はあたりまえだと割り切って、赤ちゃんになったつもりで何かに取り組めば、皆さんが思っている以上にたくさんのことを吸収でき、自分の能力が最大限に引き出されます。
順番が覚えられなくても、間違ってしまっても、出来なくてもいいのです。
それは目に見えることでしかありません。重要なことではありません。
何を目的にして、どう取り組んでいるかが重要なのです。
その意識が、最終的には目に見える形で踊りに現れるのです。
「うまい、下手、出来る、出来ない」ということは見た目では判断できません。
だからこそ、順番が覚えられること、間違わずに踊れることが「できる」ことだと、私は思っていません。
実は、その動きが正しくできているか、できていないかという感覚は身体の中から湧き上がってきます。
何度も何度も繰り返しその動きに挑戦して、いろいろ工夫して、万策尽きて、
「あーもうよくわからん」
と投げやりになった頃をすぎてやっと「あ、これかも!」という直感を得られるのです。
これ本当ですよ。ちゃんと身体が教えてくれます
そして、その感覚の積み重ねが、動きになるのです。
ということで次回は、
「パ(ステップ)の順番が覚えられるようになるにはどうすればいいの?」 というみなさんの疑問にお答えしますね
4月に入って環境が変わったり、新しく何かにチャレンジしたりする方は沢山いらっしゃると思います。
「難しい」「できない」と心が折れてしまいそうな時、それが皆さんにとってやりたいことであるのならば、どうかあきらめないでください。
それは皆さんにとって人生を輝かせる大きな学びのチャンスなのですから
(アンドウマリコ)
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