こんにちは ニャジラです✧♡
JRJ荻窪駅から徒歩15分のところにある、荻外荘(てきがいそう)に行ってみました。
大正天皇の侍医頭(じいのかみ)を務めた医師・入澤達吉の別邸として、建築家・伊東忠太の設計で建てられました。後、内閣総理大臣となった近衞文麿が入澤から譲り受け、住み始め、終戦後に命を絶った後はご家族が静かに住んでいました。
令和6年から開園され見学できるようになりました。近くには、大田黒公園(音楽評論家の大田黒元雄のお屋敷跡)、角川庭園(角川書店創業者、俳人、国文学者の角川源義の邸宅跡)があります。著名人の広大なお屋敷の静けさを感じる住宅街です。
広い芝生から少し高い目線に立つ荻外荘。以前はこの芝生も敷地でした。

入館受付へと続く道。正式な玄関は別です。

客間。第二次近衛内閣組閣時(1940年)7月19日に荻窪会談が行われた部屋。部屋の前に設置のARで当時の会談の様子が再現されていました。

壁には亀と海老。

応接間。中国風です。床には龍の敷瓦があり、天井には龍が描かれた4枚の天井画があります。



こちらが玄関。西園寺公望の筆跡による額が掛けられています。


家紋の掘られた扉。

食堂。大画面のARが設置されていました。この屋敷にまつわる歴史の説明を聞くことができました。




別棟



他、蔵や書斎や、いくつかの部屋があります。
近衛が青酸カリによる服毒自決をした書斎は、その後も改変されることなく当時の姿を今にとどめているとのこと。
撮影禁止ではありませんが、控えました。
世界中、争いのない平和な世の中であることを切に思います。
詳しくは、公式ホームページより抜粋致しましたので、ぜひお読みください。
荻外荘(てきがいそう)は大正天皇の侍医頭(じいのかみ)を務めた医師・入澤達吉が、
昭和2年(1927年)に、荻窪の、空気清涼な場所に育つアカマツのある土地に建てた別邸です。設計者は日本を代表する建築家・伊東忠太。入澤は、庭にカエデもあったこの別邸を、「楓荻荘(ふうてきそう)」と呼びました。その後、内閣総理大臣となった近衞文麿が、この別邸と周囲の環境を気に入り、健康の相談相手であった入澤から譲り受け、昭和12年(1937年)から住みはじめました。「荻外荘」という呼び名は、近衞の後見人であった西園寺公望(さいおんじ きんもち)が、荻窪に移った近衞の体調良好に祝意を込めて命名したといわれています。心身の休養のために「荻外荘」で暮らすことに決めた近衞でしたが、次第に、国家の重要な会談の場として使用するようになりました。
終戦後、近衞文麿が荻外荘で命を絶った後は、ご家族が静かに暮らしていました。家主であった近衞文麿の次男が逝去すると、まちで荻外荘保存の声が上がりました。区が、地元10町会長連名で出された要望書を受け、荻外荘の取得に向けて動き出したのが平成24年(2012年)です。平成26年(2014年)に、区は荻外荘の土地と建物を取得し、平成28年(2016年)には、日本の針路を左右するような会談が数多く行われた場所として、国の史跡に指定されました。
荻外荘を、近衞文麿居住当時の姿に復原整備する取り組み、「荻外荘復原・整備プロジェクト」により、令和6年12月、荻外荘公園が開園。
ゆっくりと見学できました。ガイドさんもいらっしゃいます。
邸宅の向かいには、展示棟があり静かなカフェもあります。少し立ち寄り、そのあとは大田黒公園を散歩致しました。
とても良いウォーキングになりました。
それではアンシャンテでお待ちしております!
投稿 ニャジラ(JUNKO)🍀